ここに置いてある戦国創作小説は、1%の元ネタと99%の妄想でできています。
正確な歴史ではございませんので、ご了承下さい。



うわさ




 元春が初めて「その人」のことを知ったのは、尼子との郡山合戦の後だった。


「熊谷はよき子を持っているのう」
 にこにこと笑う父・元就の前には、まだ幼さを残す少年が緊張した様子で座っている。
 その横に座る熊谷信直は、わが子を褒められてまんざらでもなさそうだった。
「お恥ずかしい、生来のきかん気で……このとおりいまだ元服もすまさぬ身、初陣にはまだ早いと止めたのですが、わが城を攻められて黙っていられるかと飛び出しまして」
「いやいや、さすがは熊谷の子じゃ。さ、餅をやろう。来よ」
 元就は少年に手ずから餅を与え、ますます機嫌がよさそうだった。
 ――父上も、勝手なものだ。
 同席している元春――まだ当時は松寿丸と呼ばれていたが――少しばかり面白くなかった。
 この戦で元服前に初陣を果たしたのは、何も熊谷の次男だけではない。
 尼子の軍勢がここ吉田郡山城下まで押し寄せたとき、元春も父に初陣を願った。
 ――ところが、どうだ。
 困ったような苛立ったような顔で、元就はすげなく拒否した。
 それだけではなく、井上元兼に無理やり奥へ引きずっていかせようとまでした。
 元春は本気で井上を斬ろうと刀を抜き、それを見た元就はようやく初陣を許してくれた。
 ――自分の次男ならば無謀で、よその次男ならば剛胆か。
 元春のそんな心情など知らぬげに、元就は少年に話しかけた。
「名は、なんと申す」
「鶴寿丸にございます」
「いつの生まれだ」
「享禄三年にございます」
「おお」
 不意に元就の顔がこちらを向く。
 元春はあわてて背を伸ばす。
「この松寿も享禄三年の生まれじゃ。これはこれは」
 元就の明るい笑い声の中、元春は自分と同年だという少年と顔を見合わせた。
 熊谷も笑っている。
「松寿丸さまもこたびのご初陣にてさっそくご武功をあげられたそうで、祝着至極にございます」
「いやいや、これもきかん気でな。おおそうだ、松寿よ、そろそろ退屈になってきたであろう。鶴寿丸としばらく外へ行っておれ」
 今回尼子を退けることはできたが、それで問題がすべて片付いたわけではない。
 まだまだ熊谷と大人の話があるのだろう。
 元春は子供扱いはされたくなかったが、そうしたややこしい話はできれば勘弁してもらいたいとも思っている。
「父上、わたくしにも餅をいただけますか」
「これ、客人の前で」
 元就は苦笑したが、餅をくれた。
 元春は少年を連れて外に出た。

 並んで座ったふたりの少年は、しばらく餅をかじって無言だった。
 ――熊谷か。
 元春はもぐもぐと口を動かしながら考えた。
 祖先はあの平家物語の熊谷直実という熊谷の先代は、安芸守護職の血を引く武田氏に仕えていた。
 元就が武田と戦ったときにはもちろん武田方として出撃し、討ち死にを遂げている。
 しかしその後、武田から離れて、いまはこうして毛利に従っている。
 かつては敵同士だった家の次男坊ふたりが、吉田郡山城で並んで餅を食っている。
 世の中はふしぎなものだと元春は思った。
「餅は、うまいか」
「は。おいしゅうございます」
「父上は餅が好きなのだ」
「わたくしも好きにございます」
「ならばよかった」
「は」
 鶴寿丸はまだ緊張しているようだった。
 自分相手にこうも緊張する少年がよく初陣を無事に果たせたと、元春はふしぎになった。
「初陣は、怖くはなかったか」
 む、と瞬時に眉間に不快の色を浮かべた相手に、元春はあわてて言い添える。
「おれは怖かったのだ。鎧は重かったし、目の前は真っ白になって、耳も詰まって人の声もよく聞こえなくなった」
 元春は正直に言った。
「おぬしはおれと同年という。だから同年の者と比べて自分が臆病だったかどうか、気になった」
 鶴寿丸の眉間の険が消えた。
「……正直に申し上げますと、わたくしも少々恐ろしくはありました」
「そうか」
「ですが、それよりも」
 鶴寿丸はいったん言葉を切った。
 元春はうなずいた。
「奥で何もせずに待っている方が恐ろしかったか」
 だが、相手の返事は元春の予想とはまるで違っていた。
「いえ。姉の方が、よほど」
 元春はきょとんとした。
「姉」
 聞き違えたのかと思ってつぶやいたが、相手はうなずいた。
「はい。わたくしのひとつ上の姉にございます」
 元春にも姉はいる。
 とっくに宍戸家に嫁いだ身だというのに、いまだに元春ら弟たちにあれこれと口やかましい。
 元春はそういう姉をうるさいとか面倒とか思ったことはあるが、恐ろしいと思ったことはなかった。
「姉とは、恐ろしいものなのか」
「わたくしの姉はそうでございます。姉の顔と来ましたら、鬼と申しましょうか、般若と申しましょうか」
 元春はしげしげと鶴寿丸を見やった。
 その父に似て面長の、ごく普通の顔をしている。
 むしろ色白なところなど、どことなく品があると言ってもいい。
 そんな彼の姉が鬼だの般若だのとは、にわかには信じがたかった。
 鶴寿丸は少しおどけた様子で肩をすくめた。
「熊谷の女は、恐ろしゅうございますゆえ」

 熊谷父子が帰った後、元春は近くの者に訊いてみた。
「……熊谷の女、でございますか」
「そうだ。話せ」
 元春は日ごろは無口で鷹揚だが、ひとたび何かを決意すると容易には引き下がらない。
 それを知っている近くの者は、ためらったものの、結局は話さざるを得なかった。
「……もはや二昔も前のことにございますが、殿が武田と戦いましたとき、熊谷元直を討ち取りましてございます」
「先代の熊谷だな」
「さようにございます。敗戦の混乱で、家臣は元直の遺骸をそのままに捨てて逃げ去りました。それを憤った元直の妻女は、女の身でありながらひとり戦場まで出かけ、夫の遺骸を捜したと耳にしております」
 元春もつい先日、戦が終わった後の戦場がどうなるかは目の当たりにしている。
 ぱっと虚実入り混じった光景が脳裏に浮かんだ。
 累々と横たわる死屍の中を女がひとりさまよい、ひっくりかえしてはまた次の死屍に手をかける。――
 ――鬼か。
 思わず身震いしそうになった胴に力を入れてそれを止め、元春は平気な顔を作って話の続きを聞く。
「そうして夫の遺骸を見つけたものの、女手ひとつでは運ぶことはできませぬ。仕方なく夫の遺骸から右腕のみを切り落とし、菩提寺まで持ち帰って井戸で洗って葬ったとの話にございます」
「なるほど」
 元春はうなずいた。
 気丈すぎるその妻女こそが、鶴寿丸やその姉の祖母となる。
 あの少年の言ったことが、少しわかったような気になった。



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千鳥紋吉川元春と有名な嫁とのお話です。でもまだ会ってないw
初出:2010/10/02





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